定位も大事ですが、私はハートが最も大事だと、思っています。

 

皆様、今晩は。

此処の所、定位に拘った日記に終始しておりましたが、私自身と致しましては、

『定位は大事!しかし、その再生されている音にミュージシャンのハートは映し出されているのだろうか?』

と、日記を書きながら思いを馳せておりました。

昨今、定位、定位と定位が全てであるかのような時代の流れを感じており、少々寂しい思いをしております。

私自身の考えと致しましては、定位とは、『ミュージシャンの方が表現したい音楽を伝える為の、たった一つの要素なのではないのだろうか?』

と、思っている次第です。

 

feelと言う名前は、『音楽の、あるがままの姿を感じて欲しい!』と、言う思いを込めて、名付けさせていただきました。

『音楽の、あるがままの姿!』 とは、定位であり、ハートであり、感動であり、笑いであり、泪であるのかも知れません?

 

私は、ハートが籠っていない定位だけの音には興味がありません。

 

『定位と言うのならば、あの曲を、あの日記に書かれたように鳴らして欲しい!』

『あれが正しい定位なのですから! 調整では、如何ともしがたいものの中にこそ本物の定位があると信じていますので、敢えてあのような日記を書かせていただきました。』

『私は、あの日記に書かれているように鳴り始めた車のAudioには、必ずやミュージシャンのハートが宿り表現されているのもだと、信じております。』

 

本当は、このようなハートが込められた曲を最高の定位で聴いて見たいものです。